カレーか刺身か

去年のタネから育てた朝顔が毎朝咲く。ひとつだったりやたらまとめて咲いたり日々の変化も面白く、来年はまたこのタネを取っておいて、違う新しいタネも仕入れて育ててみよう…と、何の気なしに人は、明日、来週、来年のことを考える。

もしも今生で暮らす時間の終わりが引っ越しみたいに何年何月何日何時って具体的に分かっていたらどうするんだろう。例えば次の干支の誕生日までで、あと11年と四ヶ月ちょっとだよって分かっていたとしたら、自分はそれまでの時間をどうしたいんだろう。
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先日会った若い方に、めぐみさんの夢って何ですか?と聞かれた。
実はこの質問には若い頃からまともに答えられた事が無い。やりたいことや夢を100個書き出してみろという実現メソッド的なものも世の中にはあるけど、書き出せば書き出すほどその殆どは健全な心身があれば金で解決することだ。
ので、行きたい場所、やりたいことが夢としてあればそれを目標として設定して達成したい日までの時間をコマ割りし、どうすればそこに到達するか課題としてクリアしてある程度実現はしてきたのだが、そういう課題克服型の生き方は40でやめた。
このやり方だと想定外の人や物事に遭遇した時、自分には関係の無いものとして避けて通ったり見逃してしまうし、単純に予想出来る未来に向かってるだけのような感じがしてつまらなくなった。今日は牛カツカレーにしようとハナから決めて食材を買いに行くと、旬の魚のコーナーは通りもしないようなもの。それではあまりにもったいない。
実際、課題克服型をやめてからの方が多彩な人や物事に出会い、そうだこうしたかったんだよな、ということになっていることの方が多い。何故かは知らない。
こうしたいという願望は色々あって、ただ、それを”夢”と呼ぶかというと少し違う。夢というよりも実現したい”目標”、に近い。
のだが、命の限りがいつって分かっていたらどうやって生きるのか、ちょっと想像がつかない。そういう意味で夢って何かあるかな。
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色んなところで言っているけど、60とか65過ぎたらテキトーなカウンター5〜6席とせまーいテーブル4×2席くらいの居酒屋やりたい。夜にしっかり飯の食える居酒屋。酒はビールとチューハイ2種類くらいと芋と麦と角瓶。飲みたいものあったら勝手に持って来いスタイルでメニューは無し。大皿3種くらいと、本日の煮物、干物、揚げ物、炒め物、そのくらい。勘定は小銭は無し、ふつうに食べたら1,000円、飲んで食ったら2,000円、まぁまぁ飲み食いしたら3,000円、みたいな。
…っていうと、そんな店採算合わないよとか儲からないよとかいう意見が飛んでくる。ただの夢やと言うのにw
今のところこの夢を目標化するつもりはない。戯言に近いただの夢。だけど、実際例えば命の期限が分かっていたら、やるかな、いや、どうかな。そんな視点で少し、未来を眺めてみてもいいかもな、とか。オチ無し。

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