約束は未だ〜20年目の1.17

僕等は何処から来て
何処へ還るんだろう

20年目の5時46分。
東遊園地は、陽の気が満ちていた。


2年前に訪れた時
その瞬間は、静寂の音がしていた。
それぞれが、それぞれに、長い間、向き合う数分間。


水の入った竹筒に浮かべられたろうそくに
火を灯しながら迎える、1.17、5:46。
今そこに居る、この物凄い人数の
一人、一人に
話せば長い物語がある。

その瞬間にそこに居る人は、ほんの一部で
東遊園地で迎える人
来たくても来れなかった人
それぞれの場所で迎える人
ぐっすり眠っている人
鬼籍に入られた人
その全ての人に、ひとつひとつ
物語がある。

気が、遠くなる。
逃れようの無い、人の業。

「行きたいんだけど、まだ行く勇気が無い」
そう言う友人が居る。
よく分かる。10年を越えても、自分も行けなかった。
訪れれば目の前には、1995.1.17の現実が鎮座する。
おびただしい数の、遺された人と時間。
怖かった。


ここを訪れたことは、私には良かった。
一度対峙することで
そういう現実がそこにあった、と
こういう現実がここにあるんだ、と
ある種傍観出来るようになった。

訪れるたびに、その感覚ははっきりしてきている。

2007年の13回忌で初めて東遊園地を訪れた時
長い間、一本のろうそくと対話した。
消えそうになりながらも、燃えようとするその子に
何度も火をかざしながら、親友と話す。
それまでは毎年、彼女のところに会いに行っていた。
なぁ、もういいやろ?
もう毎年は、行かへんと思う。
あんたのことは、忘れへんし。

ええよ。
分かってる。

彼女との対話が終わる頃
不安定だったそのろうそくは、しっかりと燃え始めた。
私と彼女には、未だ果たされていない、約束がある。
忘れるわけもない。


骨皮になるほど悲しんで悲しんでも、あの人あの時は戻って来ない。
もはやあの時に、あの人に、してやれることは何も無い。
もう彼女には、私は何もしてやれない。


僕が出来ることは きっと小さなこと
だから聞きたいことがあるなら
今直ぐ 君にあげる

死んだ彼女の分までは生きられないが
彼女に向こうで会う時に恥ずかしくないように生きることくらいは出来る。


朝5時という、始発がようやく動き始める時間に
何ならりんご飴の出店でも出かねない勢いで
三宮駅からフラワーロードに、人が吐き出されていった。
節目ということもあり、物凄い人出で
イベント感が出ていた今年の東遊園地。

それで良い。
真冬の5時台は、真っ暗。
あの日も、暗かった。

ここまでの20年の、5:46は、深夜25時の黒だった。
今日の5:46には、早朝の黒を感じた。
後ろに光を孕む黒。
震災前に神戸が持っていた、5:46の陽気。


あの流れ星みたいに
時は後ろ姿だけを残して 過ぎてしまうから
今だけは

『連休中は夜勤あるから、来週やな』
「分かった、じゃあ来週また電話するわ」

出来事は等しく降り掛かる。
約束は未だ果たされないまま。
起こった事を、どこまで昇華出来るか。


新たな20年が始まる。
彼女に会うまでに、やれることは全部やっとかないとな。

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