チェリビダッケ
ある先輩に勧められて手に入れた、1枚のCD。
6年前。懐かしい先輩に某所で思いがけず再会し、レコード店のクラシック部門にいらっしゃることを知って、後日店を訪ねた。私はあと2、3日で関西を離れる、という日だった。
思い出話に花を咲かせつつ、専門家お薦めの”シェエラザード”を1枚教えてくださいと申し出ると、これを薦めてくれた。
セルジュ・チェリビダッケ
恥ずかしながらこの指揮者を知らなくて、まもなく横浜に移ってその後、引っ越し作業しながら何度か聞いていたものの、その後、しっかりと落ち着いて聴くのを忘れていて6年も経ってしまった。
朝、今日はクラシックを聴きたい気分で、棚を覗いてこれを見つけた。
そうやった、これちゃんと、まともに聴いてなかったわ。
朝食のパンを齧りながら再生ボタン。
YouTubeじゃないから最初に広告はない。CDの回るモーターの音がする。
聴き慣れたイントロのメロディを想像する。
が。のっけから想定外の遅さ。今まで聞いた中でも最も遅いくらいの出だし。
おおぉ、えらいゆっくりやな?!
少し前にゲルギエフのバージョンを聴いていただけにその速さの違いは顕著。
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聴き進むにつれ思う
なんでこれ今まで聞かんかったんや、、、
録音は1984年のライブ録音とある。
音の分離と解像度が素晴らしいのはつまり、録音のせいではなく、解釈と演奏によるもの。
スコアが頭に入ってるくらいこの曲は全編覚えてる。
のに、えっ、ココってそうなってたっけ?と本棚のスコアを取りに行って確認するくらい、今までの他のオケの演奏ではそれほど聞こえてなかった音がはっきり、くっきりと、しかもその場所でそこを主張する然るべき意味をもって演奏されている。
一番驚いたのは4楽章の最初のバイオリンソロの2回目、ベースのEの音。
ここ、こんなはっきりベースおったん?と思って確認したらチェロとベースに両方記譜がある。
なるほど、、、、コンバスだけやなかったんやっけ。。
この方が、バイオリンにとても説得力が出る。
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その先輩が薦めてくれたとき、チェリビダッケ、魂の指揮者やで、と言ってくれたが、まさにそのとおりだった。細部に渡って精緻に織り上げられた音楽。
4楽章の最後、船が難破し、そのあと嵐が去る場面は、ああ、いま船が沈んだ、そして嵐の夜が明ける、、、、
その後のたっぷりの間。から、小さな声でのシェエラザードのテーマ。
「…っていうお話ね☺️」と最後にシェエラザードが話す光景が、目の前にくっきりと映像で見えたくらい。
こんな演奏は聞いたことなかった。今まで何十個ものシェエラザードを聞いてきたのに。
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全体的に非常にゆったりしたテンポで演奏されていて、テクニックに無理がない。というか、持っているテクニックを、余裕を持って存分に発しているように聞こえる。
もちろん手練中の手練たちのオーケストラだから、もっともっと速いテンポでいくらでも演奏出来るだろう。
でも
音楽は、運動会じゃない。
大きな音、早いテンポ、残像になるほどの超絶技巧。どれもとてもかっこいいし、人目を惹きつける。すごーい!と思わせてくれる。
けど、音楽は、音を、味わい、楽しむもの。
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コロナ禍に入ってすぐは、誰もが、社会が、大混乱。ワクチン騒動でまた混乱。
年齢的にもちょうど人生折り返しだったことも相まって、自分自身も暮らし方や生活、この後の人生の進み方をじっくり考えることが出来た。
特に今年に入ってからは、無理にライブしたりせず、せっかく出来た時間をたっぷりと味わい尽くすことに全力を向けた。
畑を始めたのもそう、服を全て買い替えたのもそう、(これは更年期との戦いもあるけども。とにかくずっと暑い!笑)稼ぎ仕事をまた化学仕事にシフトしたのもそう。
そして今までと大きく、いや、全然、違うのは、基本の暮らし方。家での服装、時間の使い方、ピアノの練習、何より、特に十三時代に殆ど一緒に居てやれなかった香雪とずっと一緒に居たい。もう11歳。めちゃくちゃ元気とは言え、シニアの年齢。
可愛い盛り、寂しいさかりの小犬だった香雪を、1日ほとんど留守番させて、遠征の時は人に預けて、これが人の子だったら虐待だったと言われかねない。自分としては必死に世話してきたつもりだったが、コロナ禍になってずっと香雪と過ごすようになって、香雪も全然違う。落ち着いているし、機嫌もいいし、体調もいい、ご飯もよく食べる。
そしてそれは、自分も同じだ。
自分で作った野菜で
自分で拵えた糠床をかき回して
自分で作った飯をゆっくり味わって3食食う暮らし。
このブログも今、我が家ではイチオシスペースのゆったりベランダで、鳥の声を聞きながら書いている。今の家は横浜なのに(なのに?笑)自然が本当に豊かで、ここにずっと居ると新宿までほんの小一時間という土地柄であることを忘れてしまう。
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速さと丁寧さは、あわせて100。
速さを80にすれば丁寧さは20になるし、丁寧さを90にすれば速さは10になる。
両方を上げたければ、100を1万にするしかない。それでも、速さと丁寧さは、共存はするが、割合を変えることでしか共存できない。
今までは本当に、全てを、速さ優先で生きてきた。効率よく、テキパキと、無駄なく。
丁寧さ、というものが、本当に疎かだった。そんなのでは、音楽をやってもダメに決まってる。
ゆっくりでも、亀の歩みでも、丁寧に、きちんとやること。
人生も、運動会じゃない。
しっかり眠ること
朝ちゃんとストレッチして体操すること
ベランダの掃除をして植木の世話をすること
身支度をきちんとして身なりを整えること
飯の準備をゆっくりすること
香雪が起きてきたらご飯をやったり撫でてやったりすること
座って落ち着いて飯を食うこと
体のケアをすること
そうなると朝はどうテキパキやったって3時間くらいはかかる。
植木は特に顕著。ぱぱっと水やりしてささっと様子見て、っていう世話だと、あっという間に調子を悪くしてしまう。
一つ一つに時間がかかるから、そんなことしてたらあっという間に昼前、ピアノの練習してたら昼下がり、ゆっくり散歩に出たらもう夕方。秋の関東の夜は早い。5時でもう真っ暗だ。
1日に出来ることは、ほんと用事1つくらい。あれもこれも出来ない。
でも、体調はめちゃくちゃ良い。寝つきもいいし食欲もあるし、このコロナ禍に入って、コロナどころか風邪すら引いてないし病院の世話にもなってない。
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とか考えてるうちにシェエラザードは4楽章の最後の、バイオリンのスーパー高音フラジオレットに辿り着く。
ここを聴くために全曲聞いてるというくらい好き。ハイキュー45巻の最後のシーンを見るために1巻から読むみたいなもの。
そして改めてCDの良さを実感したりもした。1枚の作品をそれだけを取り出して聴くっていう良さ。それは、昭和とか平成とか時代で区切られるものでは無い。
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高校時代、こういう交響曲を書くのが夢だった。
今はDAWなんていうものがある。
時間もあるし、構想から始めてみようかななどという妄想もしたりして。
今日はそんな休日。