自分のため人のため
先月から毎日の練習ルーティンを作り始め、今月に入ってだいぶ確立されてきた。ふと気付く。毎日決まった一定時間欠かさずピアノの練習なんて、、、いつ以来だ??笑
思えば3歳で始めたものの、親に習わされて始めたピアノ。好きか嫌いかの選択肢は無く、練習しないと怒られる。つまり怒られるから練習してた。
中学から入った吹奏楽は楽しくてやっていたけど、常に目の前に本番があった。学校内のイベント、文化祭、コンクール、吹奏楽祭、アンサンブルコンテスト。練習は、その先にある本番を見据えた練習。でも、トロンボーンは好きだった。自分でやりたくて選んだ、最初の楽器。
1.17の震災後、音楽を生業にしようと音楽学校に入り歌を習い、卒業し、それ以来昨年コロナでライブが無くなっていくまで、練習はいつも、本番を想定したものだった。
レッスンしてた頃は生徒にも、そして自分にも、いつも本番を想定した練習をと言い続けていた。
音楽を生業にしながらずっと疑問に思っていたことは、演奏能力と集客能力を同列に語られることだった。でも、おかしいな、と思いながらそれがなぜおかしいと思うのか、言語化出来てなかった。
昨日ホテル仕事の帰り道、自転車を漕ぎ鼻歌をふんふーんと歌う。
あぁ~わたーしのぉーこーいはぁ~♪
いい歌。メロディ、歌詞、コード進行。よく出来てる。(少し前におすすめサイクリングコースランキングに出てた芸人さんが、チャリこぎながら歌ってた。)
鼻歌、、あれっ?
そもそも、歌う、ピアノを弾く、音楽を奏でるというのは、自分のためのものだ。上手く歌いたい、いい感じで歌いたい、弾きたい。”あれが弾けるようになりたい”から練習が始まり、自分の欲望を満たすためにやる。
鼻歌なんて最たるもので、誰かに聞かせるためではなく自分から自然発生的に出るもの。車で大声で鼻歌歌ってて、停車中に見られて恥ずかしいとか。そういう歌は、自分のためのもの。歌自体が自分に向かっていて、自分自身で成立してる。
一方、ライブは、人のためのもの。歌い、演奏した時点から音楽はお客さんのものになる。自分のものを発してはいるが、それは、聞いている人のためのもので、音楽自体は人に向かっている。だから宣伝し、人を集めて、聴いてもらって成立する。
今毎日やっている練習は、自分のためにやっている練習。それをすぐ何かに生かすとか、本番を想定していない。純粋にピアノを演奏する、歌を歌う、ということを探究する、自分のための音楽。
人のためにやることと、自分のためにやることは
全く違う。
(念のために記しておくが、優劣の話では無い)