負けは否定の烙印ではない
朝ルーティンで、朝食食べたあとに30分〜小一時間ほどの読書タイムと称した漫画読みタイムを設けている。
自分のリセットとスタートの時間。再起動的な。
昨日は音駒戦が終わった@春高@ハイキュー。あのラスト5点くらいのくだりは、筆者やアシスタントの方の筆のキレも素晴らしく、絵やコマ割り、展開の完成度がどんどん上がって行く。試合の内容とも相まって、高揚感と到達感がたまらない。
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早稲田と駒大苫小牧、横浜とPLの甲子園の試合⚾️みたいに、素晴らしすぎて後になって、あれ?結局どっちが勝ったんだっけ?という試合がある。
対戦系なら点差で勝敗がつくが、フィギュアスケートのような採点制のものは、これは勝敗を決めていいのかという対戦もある。そう多くはない。が、そういう勝負は長く人の心に留まる。
勝負である以上、結果はどちらかに必ず出る。
しかし、ベストを尽くした試合での”負け”は、間違いではない。負けは否定の烙印ではない。
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テストにトライして失敗しても、それは自分の否定にはならない。
が、テストを受けないどころかそのテストの内容すら調べずに、テストのあり方には文句を言う場面をコロナ禍で散見するようになった。
その方が余程、自分を否定しているのに。
小さな小さな取るに足らないような日常のことひとつひとつを、自分のものにしていくこと。出回っているシステムを自分の利にするにはどうするか考えること。
そしてそこでベストを尽くすこと。
やれることは、竜鱗ある。