反復不可能でおk
論破ってタイトルついてるけど見事な言語化の例なので紹介したい。4分20秒あたりから。
もんやりした概念をこうやって一発で言語化できるの凄いな東浩紀さん。
思想書って何の意味があって読むの、というひろゆき氏の問いに答える場面なのだが、東氏の話し方も見習いたい。相手が聞こうとする真意を汲み取り、相手の思考法に合わせて、でも相手を尊重して話してる。
“反復可能な知”と”反復不可能な知”があって、知の種類がそもそも違うという表現。
霧が晴れる思い。
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歴史系の本とか文学って、読めば面白いと思うのに、なんだろう、これとどう向き合えばみたいな感じでいまひとつ没頭できなかった。
映画もそうかもしれない。
いや
音楽自体に対しても、そうだったかも。
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音楽も、映画も、アニメも漫画も何でも、気に入ったやつを繰り返し繰り返し見て聞いて分析して、自分の中にひとつの理論として組み込んで行く、というのが自分の消化の方法だったんだな、と、これ見て気付いた。
ひろゆき氏やないけど、反復可能なものでないと意味がないとちょっと、いや、だいぶ、いや、かなり思ってた。
反復不可能でいいんや。反復不可能な知を得る。
なるほどね。
なーんだ。
それでいいのか。
今日は本でも読も。