その道は曲がりくねっていても
ある人の心に触れたいと思っても、頼んで見せてもらえるわけではないし、ましてやその心の底なんて、やすやすと覗かせてもらえるものではない。
が、全く思いもかけない形で、思いもかけない時に、ふとその人の思いの水底を見せてもらえることがある。
今日はそんな日だった。
単なる事務的なやり取りのつもりで送った連絡に帰ってきた返事。
自分が思っていた以上に、相手は、私のことを考えてくれていた。ほんまに、みんな。
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小学校の卒業の答辞、生徒が数珠つなぎで言葉を言っていくアレで、自分の担当だった言葉
“その道は、曲がりくねっていてもー!”
その道は険しくとも
その道は曲がりくねっていても
知恵と、勇気と、体力で
一歩一歩、進んでいきます
当時の答辞の一部(とうじのとうじ…洒落では無いw)
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自分はこうなんだろうなぁ、と思うことと
自分はこうなんだな、と自覚することは、似てるようで全然違う。
こうなんだろうなぁ、には、こうでありたいなぁとか、こうだといいなぁ、という希望が含まれる偶像。こうなんだな、は、実像、そしてその受容。
そして、こうなんだな、と言う姿と、こうだといいなぁ、が一致するかどうか、も、また別。
幸いにも、こうだといいなぁという自分と、こうなんだな、っていう自分が、一致してた。
こうでありたい自分に、近づいては行ってるってことなんやな。
。。。しんどいけども。前に道無いとこ切り開いて行くんは。
でもやっぱり自分は、旗をあげて、振って進むのが、役割なんやな。
これなんか意味あんのかな、って思って、かなり悩んだ。ほんまに。
でも、違った。
これ自体が意味だった。
さて、踏ん張りどころ。