正しさと曖昧さ
正しさなんてどこにあるか分からないのに、それを正しいと仮定してるだけ
化学仕事の研修で聞いたこの言葉。
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このコロナ禍の2年、水面下で色々動いて得た新しい化学仕事は、”正しさ”の”曖昧さ”を数値として判定する仕事。
なかなか難しく、研修をあれこれ受けても自習が追いつかない。統計学は少し苦手分野だったが、そうも言っていられない。
しかしこの仕事の、月に数回、いろんな訪問先に伺う以外は在宅ワークというスタイルも、自分にはとてもとても
とても
合っている。
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みんな、自分が正しいと思って動いてる。
わたしも含め。
その正しさはそれぞれの基準だから、それでいい。
ただ、自分の正しさと相手の正しさが違った時、自分と違う、お前は間違ってると糾弾してしまっては争いが起こる。
自分の正しさと相手の正しさを出し合い擦り合わせて、共通の落とし所があればそれを受け入れ、落とし所がなければ、そういう正しさもあることを認め、あとは触れない。
理解したらもう、触らない。
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コロナ禍は今ver3.2あたりか。初版バージョンはみんながマスク、それが定着してver.2、ワクチンが普及してver.3。
これからver4.0あたりに移行していく中で、自分の暮らし方や考え方もそんな感じ。
正直、もう仕事としての音楽はいいかな、と、このところ思っていた。特に第5波以降。サイトの更新頻度も減っていた。何かを書く気にならなかった。
業界のことやそれぞれの対応、考え方は色々あり、どれも間違ってはいない、というか何が正解なのか、世界中の誰にも分からない。
ただ、絶対罹患したくない、気をつけたい、出来れば避けたい、という気持ちがいまひとつ理解していただけない場面に時折遭遇し、それはちょっと気持ち的に厳しく、業界から離れたい気持ちが強くなったことは事実。
けども、根底からひっくり返された足元の土から一度移動し、掘り起こして耕し、畝を立て直して、新たな苗を植えてその上にもう一度立つと、さてと…という新たな気持ちが生まれてくる。
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この一年、自分のライブはやらなかった。その気持ちは今でも変わらない。
マスクして、マスクしてもらって、消毒して、消毒してもらってまで人前でやりたい音楽は、私には無かったし、今も無い。
状況が少しずつ良くなり、またマスク無しでみんなに会えて、終わった後に求められるハグや握手が心置きなく出来て、心置きなくメンバーとうち上がれる様になったら、また自分のバンドはやりたいなと思う。メンバーがやってくれたら、だけど。
その時に、人前でやる以上、来てくださる方の琴線に触れるものが出来るよう、やっぱり今できるのは毎日の練習、日々の積み重ねの健康、そして生活の基盤。
この一年、毎日練習してる。この基礎を作れたのは、大きい。
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さて、今日は東海地方で化学の仕事。気持ちも新たにしようと、実に四半世紀ぶりにスーツを買った笑
実はスーツってすごく好き。スーツ着てする仕事したかったし、一石二鳥。二鳥?これからライブもスーツにしようかしら?
やっぱり結局、右脳と左脳を均等に使うのが性分に合ってるようで、音楽専業も、化学専業も出来ない性格。
でも、よーやく時代が追いついてきたので←大手を振ってダブルワーカー。かな。
では行ってまいります。