人を学ぶ

今年も、東大阪大学での【人を学ぶ】の授業を担当させていただき、昨日、今年度分のカリキュラムが終了しました。
今年で3年目となるこの講義は、1回生の必修科目で、学園訓 「万物感謝・質実勤労・自他敬愛」を基本に “人間関係の正しい在り方” “社会に通じる人間とは” といったことをテーマに、5人の講師が3回ずつリレー形式で講義をして、それぞれに生き様を語り、学生たちに将来の人生を考えてもらう、という授業。
光栄にも、この講義がスタートした1年目からずっと担当させてもらっていますが
何せ講義の依頼内容が ”【人を学ぶ】というタイトルで、あなたの生き様を90分×3回で学生たちに語り、人間とは何か、人生とは何かを考えさせてやってくれ” という大層なお題目なので、毎度しゃべることには、本当に苦労します。
ただ、この授業で、これまで一貫してきたのは、話す内容は、その日そのときに決める、ということ。
前もって準備して行った話をそのまましても、概して何も伝わらなくて。面白く無いものに対する人の反応は正直。寝る、私語に興じる、携帯でメール、漫画を読む。。。。それは、授業を受ける彼らのせいではなく、授業をするこちらの話がつまらないからに他ならない。
それよりも、その日その場の様子で、出席を取りながら生徒の顔を見て、対話するように話すと、話の内容もどんどん変化し、その日に合った内容になっていって、生徒も、興が乗ってきて、身を乗り出すようにして聞いてくれます。最初、興味なさそうに友達としゃべっていた人さえ、話すのをやめて、こっちを見る。
そして、話を聞いて、深くうなずいたり、目を閉じて考えたり、ぽろぽろ涙を流したり。
なので、私に取っては、人を学ぶ、という授業をしながら
自分自身にとっては、日々自分がどう生きているか、何を考えているか、そして、これまでどう生きてきたか、ということが、はっきりと白日の下に晒される、という感じでした。
授業が終わるたびに、これで良かったのだろうか、人に何かを伝える、ってどういうことなのか、と自分自身も考えさせられ、生きるって何だ、と帰り道の車で、考え込んでしまって、結局一日何も出来なかったり。
精神力の放出量が多く、毎回、本当に体の隅々から全エネルギーを搾り切るような感覚でしたが
昨日の最後の授業の感想文を、夕食をとりながら読んでいて、不覚にも涙が出てしまいました。
「先生から出る言葉と歌は、心に響くものがあります」
「先生に出会えてすごくよかった、先生にもっと早く会いたかった。この3限で聞いた話は、これからずっと心に残ると思います。何事にも興味を持ち続けて、いろんなことにチャレンジしていきたい。」
「こんなに自分のためになる授業は初めてでした。自分にとってプラスになることばかりで、素直にもっと授業を受けたいと思った。僕にとって、先生は人生の見本みたいな感じで、全てにおいて尊敬できて、先生のようになれたらなと思う。」
「僕は先生みたいな人になりたいと思いました。自分自身の答えを見つけて、自分の人生は自分が主人公なので、かっこよく生きたいと思います。短い間ですがありがとうございました」
A5の用紙に、小さな字でいっぱいいっぱい、欄をはみ出してまで書かれたこれらの文は、一生懸命彼らが、自分が何を感じたかを伝えようとして、書いてくれたもの。
伝えようとする気持ちが伝わり、伝わったよ、こう感じたよ、と返ってくる。
人にとって、これほど素晴らしいことは無いなあと、思いました。
これまで、真っすぐとは到底言えない人生だったし、それが正解かどうかも分からないし、多くの人を傷つけてきた人生でしたが
たった一人にでも、自分の人生は、自分で生きる、ということが伝わり、私の背中を見てくれた人がいたのであれば、自分の生き方は、正解ではないにしろ、間違ってはなかったのかな、と。
色々迷うことはあるけれど、私はいつも、答えは一番最後に出る、と思っています。自分は何を遺せるのか。
その一つのヒントを、この授業でもらった気がします。
素晴らしい機会を与えてくださり、毎年、直接電話をかけてきてお話を下さる、東大阪大学学長・一色尚先生、毎年お世話してくださる阪口先生、本当にありがとうございました。
そして昨日の授業の最後、東大阪大学・幼児教育学科のかわいい生徒たち。みんなありがとう!!

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